#史跡 の検索結果 (108件)
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古河藩武家屋敷
江戸時代の古河藩に関連する武家屋敷で、家老屋敷だったとされています。長屋門と塀が現存しており、丁寧に手入れされた歴史的な建造物が見られます。現在は個人宅として使用されているため、外観の見学となります。
松月院跡
古河公方の墓とされる宝篋印塔が残る歴史的な場所です。かつての松月院の跡地は現在、小さな公園として整備されており、静かな環境が特徴。説明板が少ないため、地元の人でも素通りしてしまうかもしれませんが、古河の歴史を知る上で興味深いスポットです。
徳源院跡
足利義氏の娘である氏女にちなむ歴史的な場所です。春分の日前後に訪れるのが見頃とされており、古河の歴史を感じられるスポットになっています。無料で駐車場が利用できるため、気軽に立ち寄ることができます。
渡良瀬川治水紀功碑
大正15年に渡良瀬川の改修工事が完成したことを記念して、船渡地先の三国橋上流の堤防下に建てられた碑です。渡良瀬川治水功碑のほか、工事に携わり亡くなられた方々を祀る渡良瀬川改修殉業諸氏記念碑も一緒に立てられており、地域の治水事業の歴史を伝える重要な遺産となっています。
民家園
江戸時代の民家を保存・展示している施設です。建物の内部は丁寧に管理されており、当時の生活様式を間近で見学することができます。歴史に興味のある方や散歩ついでに立ち寄る方々に人気があります。
田中正造翁遺徳之賛碑
足尾銅山鉱毒問題で明治天皇に直訴した衆議院議員・田中正造を描いたレリーフが刻まれた碑です。明治34年に議員を辞職してまで環境汚染の改善を求めた正造の決意を表した鬼気迫る表情が印象的。堤防沿いにあり、碑文を読むことで正造がどのような人物で何を成し遂げようとしたのかを学ぶことができます。
日光街道古河宿道標
江戸時代の日光街道とつくば街道の分岐点に立つ、石造りの常夜灯型道標です。1861年の文久元年に建立され、「左 日光道」「右 江戸道」「東 筑波山」と刻まれています。特徴的なのは文字の美しさで、幕末の書家・小山霞外とその子梧村、孫の遜堂という三代の揮毫によるもの。昔の旅人たちがこの石碑を目印に進路を決めていた、歴史ある交差点の証人です。
古河公方館跡
室町時代、鎌倉公方足利成氏が享徳の乱で鎌倉を離れて最初に館を構えた場所です。鴻巣御所とも呼ばれ、古河城が完成するまでの約2年間、関東一円の中心地として機能しました。現在は広い公園として整備されており、春の桃の時期には観光客で賑わります。茨城県指定文化財。
旧中山家住宅
江戸時代前期の大農家の住宅で、延宝二年(1674年)の建築と推定されます。もとは現在の坂東市にありましたが、古河総合公園内に移築復元されました。建物の最大の見どころは、自然木の曲がりを活かした梁の組み方で、一本一本異なる反り方をした松の梁が複雑に組まれた構造は江戸時代の大工技術を感じさせます。どまやかまどなど当時の農器具も展示されており、入場は無料です。
旧飛田家住宅
18世紀前半に建てられた農家住宅で、もともとは常陸太田市の金砂郷にありました。国指定重要文化財に指定されており、茨城県内の曲屋形式の住宅では最も古いとされています。古河公方公園内に移築されており、牛馬を飼うための入馬屋や茅葺き屋根など、当時の農家の生活を今に伝える建物です。建物内も見学でき、竈門の煤けた匂いなど、歴史を感じられる空間となっています。
古河城跡
関東有数の城郭として知られる古河城。15世紀中期に足利成氏が鎌倉から座を移したことで城としての整備が進み、江戸時代には徳川の譜代大名たちが次々と入部し、北関東の重要な拠点となりました。渡良瀬川を天然の堀とした縄張りで、将軍家の日光社参の際には二泊目の宿泊城として機能していたほどです。残念ながら明治43年からの河川改修工事により主要部分は失われましたが、現在も諏訪曲輪の土塁や獅子ヶ崎土塁など往時の面影を偲ぶことができます。
寺前古墳
ひたちなか市内で最も古い古墳で、5世紀初め頃の築造と見られています。墳丘約50mの前方後円墳ですが、まだ発掘調査が行われていないため、どんな貴重な品が埋まっているのかは謎のまま。柳が丘第1児童公園のすぐ隣に位置していて、のんびりした雰囲気の中で古墳の歴史に思いをはせることができます。
那珂湊反射炉跡
幕末に水戸藩が海防のために建設した西洋式の大砲鋳造施設です。1857年に完成し、藩主・徳川斉昭の指示のもと、異国船の脅威に対抗するための大砲製造を行いました。元治甲子の乱で破壊されましたが、昭和12年に復元され、今も反射炉の煙突や大砲、煉瓦焼成窯などが現地に残っています。無料で見学でき、駐車場も完備されているため、幕末の日本史を学ぶ貴重なスポットとして利用できます。
中根八景・福乗院の晩鐘
廃寺となった福乗院の跡地に残る、中根八景の一つです。急な坂道を登るとお墓に囲まれた場所があり、古いお堂と大きなイチョウの木が迎えてくれます。そのお堂には鐘が置かれており、かつてこの地で響いていた晩鐘の音に思いを馳せることができます。秋には目の前のイチョウが美しく色づき、歴史ある風景を演出しています。
湊八景・富士坂の暮雪
那珂湊第二小学校の案内看板横に建てられた碑で、江戸時代の歌人が雪の夕暮れ時に富士坂道で道に迷った情景を詠んだ歌が刻まれています。かつてこの一帯は田畑だった時代の風景を今に伝える、湊八景の一つ。夕陽が美しいスポットとしても知られています。
湊八景・新堤の落雁
かつて湊八景の一つとされた風情ある場所です。江戸時代の歌人がこの地で、溜池に降りてくる雁の美しい姿を和歌に詠んだと伝わります。碑には「新つつみ清き堀江にすまんとや珍らかそうに落ちるかりかね」と刻まれており、古い時代の文化的な価値を感じることができます。季節によって周囲の風景が変わり、訪れるたびに異なる表情を見せてくれる場所です。
湊八景・関戸の夕照
かつて渡船場があった関戸から見える夕焼けの美しさを詠んだ、水戸八景よりも歴史の古い「湊八景」の一つです。関戸水神宮の境内に碑が建っており、「山の端に入る月影とりやらぬ関戸に照らす夕暮の雲」という和歌が刻まれています。今は湊大橋が架かり、当時とは風景が変わっていますが、この地に残された文化遺産として多くの人に訪れられています。
武田氏館
戦国武将・武田信玄で知られる武田氏の発祥地。源義光の三男・義清が11世紀にこの地に土着し、武田という姓を名乗ったことが、甲斐武田氏のルーツとされています。中世の武士の館を再現した建物内には、武田氏の系譜や歴史資料が展示されており、日本の戦国史を学ぶ上で興味深いスポットです。駐車場は館の右後ろの道路奥にあります。
徳川斉昭公お腰掛けの石
酒列磯前神社の境内に残る、水戸藩九代藩主・徳川斉昭公にまつわる歴史的な石です。かつてヤンサマチという競馬祭を見物する際に、斉昭公が腰をかけたと言われています。樹齢300年を超える椿やタブノキが並ぶ境内の中にあり、神社を巡る散策の中で出会える、江戸時代の痕跡を感じさせるスポットです。
南高野史跡公園
古墳時代の遺跡を保存した公園で、南高野貝塚と円墳が眠っています。石畳の遊歩道は起伏が多く、自然の中でのトレッキングに最適。複数の東屋があるため、休憩しながらゆっくり散策できます。駐車場も広く、木陰で休める点が利用者に好評です。